SO LONG!GOOD-BY

自称社会人による主に漫画アニメの感想

記すとは


なにかを書くことが好きだったんだな、とふと気づいた。

眠れそうにもないので、記していきたい。





とにかく整理整頓ができない人間であるので、半年に一度ほど、部屋の床板をはがしにかかるほどの大掃除を設けている。
関係ないが職場の机もそれはもうひどいもので雪崩れた数は知れない。

公共の場でさえそうなのだ。
自分のテリトリーなんて語るまでもない。

そう片付けをしていてみつけたそれは ─カレンダーの裏に書かれた簡易なものだが─ 私のオリジナル新聞だった。







幼児期、絵が好きだった。言葉も好きだった。

今でもたまに母や祖母が見せてくれる折り紙を小さく折ってできた本。
まだ身に付ききっていない文字で書かれたその本は絵本だった。

恐らく幼稚園や病院などでもらえる小さな丸いシールが組み合わされて片面に貼ってあり、見開いた反対側にはその絵にあったストーリーがかかれている。

「ちょうちょがおはなにとまったよ」

こんな感じで5ページくらいになっていた。



これがきっとうまれてはじめて“書いた”もの。





絵本は当時そんなに好きだった記憶はない。
いまも心に残っている本というものもない。
でも、書くことや想像は好きだったんだと思う。




小学生に入ってからも平々凡々と過ごした。
むしろ凡庸でなかった時期は私にはない。

しかし、今おもえば珍しかったのではないかと思うことがある。それは脚本だ。


いま覚えている一番古い脚本は小学3年生のとき。
お楽しみ会で劇をすることになったが、なぜか自分たちで話を考えようということになった。
そのときに手を挙げたのがはじまりだった。

当時はやっていたテレビ番組で「クイズ!ヘキサゴン」というものがあった。
それに目をつけた私は、クイズ回答者を友達にして、「子どもたちがクイズをして遊んでいたら、テレビの世界に来てしまって、協力して正解しないと帰れない!」的な、なんだそのありふれた設定はとつっこみたくなるストーリーを作った。

反応はまずまずだった気がする。


さて、4年生になると引っ越しをした私は、これまた劇の脚本をはじめる。
転校先の学校でもそんな慣習があったのかは覚えていない。まさか自分から言ったんじゃないだろうな?

ハロウィンをしていたら本物のお化けがでてきて…
とか
スーパーマリオブラザーズの世界に入って…
とか。没入型が好きだな、自分。
でもそういうのを書いていた。


当時のメモ帳が今でも残っているので、きっと自分なりに考えていたと思う。



また、小学校高学年にもなると委員会活動がはじまる。
ここでも私はものを書いていた。新聞だ。
いろんな委員会をした記憶があるが、一番記憶に残っているのは広報委員会のときだ。

これはよく覚えている。会で司会が「なにか活動したいことはありませんか」と言ったときに、ハイと元気よく手を挙げて「新聞を書きたいです」といった。
結果採用されて、任期の数ヶ月、友達とああだこうだいいながら書いていたのを覚えている。


そしてそれに続いたのが、自分新聞だ。
書き足りなかったのか、家でも自分の新聞を週刊発行してリビングに貼り出していた。
トピックスにおすすめの本、すきなものランキングに4コマ漫画、政治の話や家族の話など…

結局長く続くことはなかったが、小学校のころから実は色々と書いていた。


また、4、5、6年とお世話になった先生は毎日日記の宿題を課していた。中にはさぼる子もいたが、私は毎日続けた。
自分が書いたことに先生が一言そえてくれる。それが堪らなく好きで、ずっと書いていた。





中学生になった。
また転校だったが、遠く離れた地でも私は書いた。

読書感想文なども苦ではなく、ひたすら一人で書いていた。
自分新聞も月刊になったが続いていた。



2年生になると、ホームページづくりが流行った。
中学生らしい、携帯からアクセスする簡単なつくり。
みんながプリクラやリアルタイムを更新する中、私がはじめたのは小説づくりだった。


はじめて?シリーズものを書いた。
簡単に言うと、主人公が女の子に出会って、世界を救うために修行する話。
ぱっぱらぱーな内容だが、アクセス数は結構増え、物語完結後にスピンオフまで書いた。


このころから謎の方向をみつけ、紙にも自分でしかよまない物語を作り続けた。
多分どこかにノートが眠っているとおもうが、覚えているのは
地面を掘りつづけるといつかブラジルに辿り着くと考え、地面を掘ることを趣味にしている男の子の話だとか、
自分が何者か全て忘れた少年がなにもない空間でさまよい、案内人の女の子と話ながら自分の境遇を思い出す話とか

要するに前者は太陽の戦士ポカポカ、後者は幽遊白書のパクりだ。
でもとにかく、じぶんで書き続けた。



仲間の獲得

当時の同じ部活で仲がよく、週2で互いの家を行き来するようななかのこが、一緒に小説を書いてくれることになった。
登場人物は自分たち。
同じテニス部の仲間ひとりひとりを主人公にした物語だった。
虹をモチーフに七章のときめ、なんとこれはパソコンでwordに打ち込み、印刷し、のりで張り付けて本にした。
しかも今おもえばめちゃくちゃはずかしくて頭をはたきたいのだが、部活の仲間に回し読みさせていた。

楽しく進んでいたが、三年生になると友達が塾に通いはじめて時間がなくなり、消滅してしまった。


その間も新聞づくりや自分の物語づくりはやめなかった。


他にも、ポエムをつくったりとなにかと書くことが好きだった。








今もこうしてなにも考えずに文章をつくっている。
なぜ、書くことが好きだなんてことを忘れていたのだろう。
忘れていたというか認識がなかったのかもしれない。


社会人として働きだして子どもと関わることがある。
新聞の話をすると非常に驚かれた。

みんな書くことが嫌いだ。
作文も日記も。そんなことはしたくないと。



自分の経験上、書くのが楽しいからといって賢くなったとかそういうのは一切ない。
ここまで読んでくれた人がもしいたのならわかるはずだ。
思い付いたことをだらだら書くだけと私の頭はよくないだろうということを。
しかし、自分の中にあるものを出していくというのはすごく楽しくておもしろくて気持ちがいいものである。
それを子どもたちにも伝えていきたいし、自分自身も当時のこころを忘れずに続けていきたい。




先日ひさしぶりに新美南吉の本を読んだ。

彼のように何かを伝えることは不可能だが、私は私のために書いていきたい。